テラ・ライフ・デザイン


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☆第8号 「命って、素晴らしい」

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http://www.terra-life.com/ ■□∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞■□             幸せになるセラピー                 ☆*:o. あなたが微笑むとき、世界が微笑む .o:*☆          2005/07/26(火) 第8号 □■∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞□■ ◆ ご 挨 拶 ! 皆様、こんにちは! ライフ・デザイン・セラピスト&コーチの西連寺(サイレンジャー)です。 先週は予告もなしに メルマガをお休みしまして、失礼いたしました。 16日(土)午前3時に私の母が他界いたしまいた。 享年61歳でした。 実は、一昨年の秋から闘病生活をしており、 いつ亡くなってもおかしくない状況でした。 今まで生きていたのが奇跡のようなことでした。 とはいえ、満身創痍ながらも、最期まで母は元気で前向きだったもので、 覚悟はできていたものの、今回のことは、 突然であっという間の出来事のように私は感じています。 ご心配していただいた皆様には、 いろいろお気遣いいただき、心から感謝いたします。 今まで本当にありがとうございました。 今回は、私事で恐縮ですが、母について書かせてください。 (「幸せのオーラ」も一緒にね!.: *:・'゜'(幸)) ◆ 母親の闘病生活  母親の病気を知ったのは、一昨年の秋でした。 実は、私の母方の祖父母は今もまだ存命で、 私はうちは長寿の家系だとなんとなく思っていました。 なので母親の命が「早くて4ヶ月」と言われても、 その時の私には全然ピンと来ませんでした。 なにぶん、症例の少ない珍しい症状だったらしく、 初めは治療法もないと言われ、 お医者さん自身にも先がまるで見えない状態でした。 結局、大きな手術を2回行い、その間の抗がん治療や 放射線治療、その他の処置など、よく頑張ってくれたなと思います。 もうダメかなと思うこともあったり、 すこぶる好調になって、このまま何年も生き続けるのでは? と思うことも度々ありました。 その間に、私は結婚をしたり、こうしてセラピスト&コーチとして 活動を始めたりしました。 母の死を間近に感じることで、 私は、今まで勉強してきたことのひとつひとつに より深いリアリティを見出し、人の心について さらに真剣に取り組むようになりました。 振り返ってみると、母親の生きることに対する前向きな姿勢が、 多方面にわたり、私の背中を押してくれたのだと 心からありがたく感じています。 ◆ 最後の晴れ舞台 「結婚式までは」「お正月までは」「桜の咲く頃までは」 毎日毎日、そんな想いで、今までなんとか生き延びることができました。 母は地元の合唱団に所属していて、 先月はなんと合唱の演奏会のステージに立つことができました。 その時は状態は悪く、すでに病院ではやることもなくなり、 ケアハウスにいたのですが、そこから直接、ステージに向かいました。 痩せ細ってはいたものの、しっかりと歩き、 歌っているときの立ち姿も美しく、 まさかそんな病状の人間にはとても見えませんでした。 好きなことをイキイキとやっている人間のエネルギーを 信じずにはいられない瞬間でした。 その後、父や姉、私の妻とレストランで食事をしたのですが、 その頃はもうほとんど物を食べられなかったにも関わらず、 我々と同じコースを頼み、半分は食べられたのではないでしょうか。 そのイキイキとして、エネルギーに溢れた様子は 「このまま、治ってしまうのでは?」 と思わせるほどでした。 気持ちの充実が、身体に良い影響を与えているのを 目の当たりにした感じでした。 そしてなんとその勢いで、ケアハウスも退院し、家に戻ってきたのです。 ◆ 最期のとき このまま、病気との共存ができるのか?とも思っていたのですが、 病状が思わしくなくなり、先日、最期の時がきました。 私が前日に駆けつけたときにはすでに意識もなく、 必死に呼吸を繰り返している状態でした。 口を開き、全身を使って、ひとつひとつの呼吸を繰り返していました。 そのときの母親は、呼吸をすることしかできない存在でした。 「呼吸」という、ただそれだけの行為が、 とてつもなく大変な重労働に見えました。 全身全霊をかけて、呼吸をしている姿が、胸を打ちました。 人は呼吸をして生きているという当たり前の事実をかみ締めました。 家族、親戚一同、ひとつひとつの呼吸を見守りました。  意識はなくても、生命は生命の限り生きる。 意識はありませんでしたが、辛かったと思います。 苦しかったと思います。大変だったと思います。 それでも、最後のひと呼吸まで、 母の生命は生きることを諦めなかったのだと思います。 何かをするためではなく、 生命は生きるために生きるのだという姿を見せてもらいました。 16日深夜午前3時、最後の呼吸が止まりました。 家族全員に見守られての最期でした。 最後のひと呼吸まで、生命の全力を尽くした最期でした。 身内の私が言うのもなんですが、 誇らしく思えるような、母親らしい立派な最期だったと思います。 最期の最期まで頑張って、本当に立派でした。 必死だった顔の表情も、明け方には微笑を浮かべるような 穏やかな美しい顔になっていました。 僕には全てを出し切り、人生を生き尽くした人間の美しい顔に見えました。      ◆◇ これが「ライフ・デザイン・セラピー」流! ◇◆ ■□━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━□■              命って、素晴らしい。             人間って、素晴らしい。       ■□━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━□■ 普段はあまり感じることはできないかもしれませんが、 人間は、「生きているだけ」で充分、素晴らしい存在です。 それは、母と同様に、私も、そして、あなたも例外ではない。 今、ここに生きているあなたの命は、何物にも変えることのできない かけがえのないものです。 たった一つの呼吸をすることも、 生命のとても尊い行為のひとつなんだと思います。  生命はそのままで、充分美しい。  生命は、ただそれだけで生きる力を持っている。 「人はなんのために生きているのか?」 歴史に残るような、すごい偉業を成し遂げたっていい。 何もできず、ただ毎日を生きているだけでもいい。 それでも、どれもが全て、同じ尊い生命。 人の生命は「生きるため」に生きている。 素晴らしいことだと思いました。 「こんな病気になって、人に心配をかけて、  迷惑をかけているんじゃないかと  思っていたけど、こんな病状だと、ただ生きているだけで、  多くの人に勇気を与えているみたいね。  何もできなくても良いんだって、  最近、みんなに教えてもらったわ。  いい人たちとめぐり合えて、本当に感謝しなくっちゃ。  今まで遠慮していたけれど、できれば、  もっといろんな人と会っておこうと思っているの。」 亡くなる数日前、最後に電話で話したときの母親の言葉です。 母親は親しい人にも病気のことはあまり知らせていないようでしたが、 数日前に昔の友人にお見舞いに来てもらったあと、 このように嬉しそうに話していました。 「ただ生きているだけで」充分でした。 身内の話を最後までお付き合いいただき、 ありがとうございました。 ゆっくり、あせらず、そして、何より楽しく行きましょう! 「幸せのオーラ」、皆様に届きますように! .: *:・'゜'(幸) ◆ おまけ 先月、最後の合唱のステージに立っていた母親の姿は、 息子の私からみても(逆に身内の欲目かもしれませんが)、 美しいと感じるものでした。 痩せ細りながらも、真っ直ぐ立つ姿は、 大げさに言わせていただくと、百済観音を思わせるほどでした。 そう考えると、ちょっと美しすぎたかもしれませんね。 あの時、すでにあっちの世界へ踏み出していたのかもしれません(笑)。     お母さん、大好きでした。     今まで、ありがとう。 ◎ご意見、ご感想、お待ちしております!  silen@terra-life.com ◎個人のセッションも受け付けております。お気軽にどうぞ!  http://www.terra-life.com/ ◎お友達にも紹介していただけると嬉しいです!  メルマガの転送、大歓迎です! ━★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://www.terra-life.com/

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